それから、シャッターを切ることが、非情であることを悟った。
3月11日。
絶対に風化させてはならない記憶。
記録におさめるべく、直ぐさま被災地に乗り込んだ。
目に飛び込んできたのは、無惨な光景。
豊かな港町が、跡形もなく消え去った姿。
写真を生業とする以上、ファインダーを覗かねばならない。
シャッターを切らねばならない。
しかし、あまりの惨状にピントが合わせられない。
ファインダーを覗いても、滲んでピントが合わない。
ピントリングをどんなに調節しても、焦点を合わせることはできなかった。
瞬間を記録することの非情さで、言葉を失う。
これまでの人生が悔やまれる。
悲惨であることを、スチールとして記録する。
その社会的意義を正統性にして、人としての心を失っていたことに気づく。
報道という自己正統性の名の下に、心を失い鬼畜のようにシャッターを切り続けていた。
そこには、人としての心の温かみのない記録だけが残り続けた。
心のない記録が、人の心に訴えかけるものは何もない。
記録という大義名分だけがひとり歩きして、自分を支えていた。
誰かがやるなら自分も、という短絡的な発想しかもつことはなかった。
自分だけが責められるはずはない、という安易な妥協が心を失った記録となって残された。
笑顔を残そう。
そういう記録を残していこう。
裏側はもういらない。
涙はもういらない。
喜びに溢れた笑顔だけを、未来に伝えていこう。
笑顔の歴史を次世代に伝えよう。
そのためだけにファインダーを覗こう。
そのためだけにシャッターを切り続けよう。
世界で一番、美しいもの。
そう、笑顔の記録を残していこう。
